官網:
http://www.tv-asahi.co.jp/byakkotai/放送日:2007/1/6~1/7(二夜連續夜9時)
【白虎隊士】酒井峰治(山下智久)
【白虎隊士】篠田儀三郎(田中聖)
【白虎隊士】伊東又八(藤ケ谷太輔)
【峰治の母】酒井しげ(薬師丸ひろ子)
【峰治の祖母】酒井もん(野際陽子)
【峰治の父】酒井安右衛門(高嶋政伸)
【儀三郎の母】篠田しん子(若村麻由美)
【会津藩家老】西郷頼母(小林稔侍)
【頼母の妻】西郷千恵子(浅野ゆう子)
【会津藩主】松平容保(東山紀之)
【松平容保の義姉】照姫(和久井映見)
【峰治の子孫】酒井峰男(伊東四朗)
浅井小夜子(黒木メイサ)
山本八重子(中越典子)
脚本:内館牧子
監督:橋本 一
音楽:大島ミチル
エンディングテーマ:「ユー レイズ ミー アップ」
ケルティック・ウーマン(東芝EMI)
制作統括:早河 洋(テレビ朝日)
チーフプロデューサー:五十嵐文郎(テレビ朝日)
プロデューサー :内山聖子(テレビ朝日)、手塚 治(東映)、丸山真哉(東映)
制作:テレビ朝日
制作協力:東映
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会津藩の藩祖、保科正之(ほしなまさゆき)は二代将軍徳川秀忠の子で「家訓十五箇条」を残し、代々受け継がれていました。そこには徳川将軍家に忠勤をつくせとの文言もありました。三代藩主正容(まさかた)の時に松平姓を名乗るようになり、会津松平家は御三家につぐ御家門という家格を持っていました。幕末、幕府の力が衰えると、京都の治安の回復のために「京都守護職」が創設され、会津藩に白羽の矢が立ちました。藩内では「今、この重職を引き受けるのは、薪を背負って火を消しにいくようなもの」と反対意見が多数をしめ、九代藩主松平容保(かたもり)も固辞していましたが、幕府の重臣達は強引に会津藩に引き受けさせました。会津藩は倒幕勢力の矢面に立たされてしまったのです。慶応4(1868)年1月、ついに「戊辰(ぼしん)戦争」という国内を二分する大きな戦争になりました。薩摩、長州藩などの倒幕勢力と会津、桑名藩などの旧幕府勢力との戦いになりました。会津藩の軍制は当時交流のあったフランスの軍制に習い年齢別に編成され、中国の故事で「方角の守護神」とされていた空想上の動物の名前、玄武(げんぶ)、青龍(せいりゅう)、朱雀(しゅじゃく)、白虎(びゃっこ)を隊名につけました。(この「四神」は奈良県のキトラ古墳の壁画に描かれていたことで近年有名です)玄武隊(50歳以上)、青龍隊(36歳から49歳)、朱雀隊(18歳から35歳)、白虎隊(16,17歳)に大きく分けられ、さらに身分により高い方から、士中(しちゅう)、寄合(よりあい)、足軽隊に分けられていました。
「白虎隊」は全部で約340名おり、身分により「士中一、二番」「寄合一、二番」「足軽隊」の5隊に分けられていました。この中の上級武士の子弟で構成されていた「士中二番隊」42名が、慶応4年8月23日(今の暦では10月8日)に猪苗代湖近くの「戸ノ口原」で戦いましたが敗退し、うち20名(人数には異説あり)が飯盛山に逃れてきましたが、城下で発生していた戦火に包まれた鶴ヶ城をみて、もはや落城したものと思い自刃(じじん)したのです。元号が「明治」に変わる16日前の出来事でした。飯沼貞吉(いいぬまさだきち1854~1931)氏だけが通りがかった地元の人に助けられたため、この話が知られることとなりました。(注:「白虎隊」全体としては、85%にあたる290名が生き延びています。)実際には城はおちておらず籠城戦を1ヶ月戦いましたが、最終的には会津藩は降伏しました。その後、飯沼氏は電信技士となり昭和6年まで生きられましたが、飯盛山での出来事についてその重い口を開いたのは晩年だったそうです。飯沼氏と同じ「士中二番隊」の隊士であった酒井峰治氏の手記が近年発見されましたが、酒井氏も生前当時のことは家族にもほとんど話さなかったそうです。彼らは少年の日の深い心の傷を終生抱えていたのでした。